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畑になるのではないか。畑がなければ作物ができない、球根が植えられないというのは、先ほどの夢はゼロであるけれども、1のものがあればそれが10になり、100になるというのと同じことでございます。
演劇という不可解な、あるいは不可思議な、しかし奥の深い、また幅の広い、浅く広くやろうと思えば幾らでもできるものでございますし、また狭く深くやろうと思っても幾らでもできるものです。ただ、いろいろのサンプルを取り上げて、上質なエンターテインメントを地元の方々にお見せになる使命を担われた皆様の場合、私どものように1つの劇場のカラーさえ打ち出せばそれでいいんだみたいな、民間劇場のプロデューサーよりは違う目、知識、そういう人的な交流、あるいはお気持ちの持っていき方、そういうものは我々民間の劇場以上にあろうかとは思いますが、幸い全国津々浦々にいろんなすばらしいホールができております。
よく新聞などで何も野原の真ん中にバッハ・ホールなんか要らないじゃないかみたいな論評を読んだりしますけれども、私は反対でございまして、そこにそういう場があるから、そこにいる人たちがいつでも観客になれるわけですね。日本の場合、プロデューサーが観客不在だ―「マスタークラス」のようなものだとか、マリア・カラスと黒柳徹子が結びつかないから、おれは行かないんだみたいなそういうことを考えないで、「マスタークラス」という芝居は、どういうふうにマリア・カラスを描いているのかなといって1回でも見てみる。2回、3回見るのは黒柳さんのファンでしょうけれども、リピートをするということは考えないで、1回でも見てみよう。
こういうミュージカルが日本で初めて紹介されるけれども、キャスティングがどうも気に入らない。自分の嫌いな宝塚のOGが出ているから私は行かない、こういうのは観客としては一番残念な観客だと私は思うわけです。プロデューサーがこういうことを言いますと、非常に物議をかもすんですけれども、日本がミュージカル・ブームだというのは非常に底の浅い、うそっぱちだと私は思っております。私は、もうすぐにでも客席に座って見る側に回りたい人で、そんなに何十本何百本もつくったわけじゃないのに偉そうなことを言うのはご失笑を買うかもわかりませんが、どっちかというとつくるよりも見て拍手をする側に回りたいと思います。
欧米で芝居やミュージカルを見るときの最大の喜びは、すばらしい観客の中に自分も1人まじっているんだというその手ごたえをひしひしと感じることです。。団体客の悪口を言うと、コマ劇場は給料を払えなくなりますから本当はいけないんでしょうけれども、や

 

 

 

 

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